自分でも気持ちが悪いくらいに、今日の俺は機嫌がいい。
安岡に、今日はどうしたんスか年末ジャンボでもあたりました?って3度も聞かれたし、雄二郎さんには、どうした今日は誕生日か?なんて聞かれた。
別に俺は宝くじが当たったわけでもなければ、誕生日でもない。
なのに、どうして気分がよいのか。
今日は2月14日、バレンタインデーである。

正直に言おう。
俺は、今日のバレンタインを楽しみにしている。
いや、男の半分がこの日をなにかしら楽しみにしていると思う。ただし、残りの半分は嫌悪感を抱くほど嫌っているが。
俺も今まではずっと後者のほうだった。
何が面白いのかさっぱり分からなかった。ただ製菓会社のチョコレート祭りに踊らされているだけじゃねェかと去年までは言っていた。それは負け惜しみでしかないと、今なら思える。
だが、今年は違う。
製菓会社の企画だろうが、祭りの一要員だろうが、なんでもいい。
俺は、チョコレートが欲しい。
たんに、チョコレートが欲しいだけなら自分で買えって言う話になるが、正確に言うと、蒼樹嬢からのチョコレートが欲しい。
そう、思ってしまったのだ。
なぜ蒼樹嬢なのか、どうして他の女じゃ駄目なのか。
2,3日、それを本気で考えた。
すると、認めたくない結果にたどり着いた。
それは、俺は蒼樹嬢に惚れこんでいる。それも相当なレベルで好きらしい。
らしい、というとまだ不確定のような感じがするが、俺も認めたくない事実であり、少し本心に顔を背けているからである。
けれど、認めよう。
俺は、蒼樹嬢が好きだ。
だから、蒼樹嬢からのチョコレートが欲しい。

それでだ、今日はそのバレンタインデーである。
世の中の大半の男は用がなくて、ほんの一握りの男だけがもてはやされる日だ。
蒼樹嬢が俺を好きだとは思えないむしろ嫌われているぐらいだろうが、日ごろの感謝ぐらいされてもいいじゃないかと思っている。
実際、最近の義理チョコは感謝チョコと言われるくらいであり、いくら蒼樹嬢が俺を嫌っていようが、礼儀を忘れない女だからきっと俺にもチョコレートをくれるだろう。
蒼樹嬢が連載をもてるようになったのも、ほぼ俺の助けがあったからと言っても過言ではないからだ。
そうした密かな勝算もあり、俺は今日気持ち悪いくらい機嫌が良い。
なんというか、おおらかな心の器の広い人間になれている気がする。
そんな俺はいつ蒼樹嬢が電話をしてきてもいいようになんて、携帯を文字通り肌身離さず持ち歩いている。
それどころか、携帯ばかり気にしている気がする。
初恋かよ、って思いたくなるが、しようがない。
俺は心底蒼樹嬢が好きみたいだ。

バレンタインデーは日本の製菓会社がでっち上げた企画らしいが、こういう日でないと、あの奥手で夢見がちな女は俺にチョコレートというか、贈り物をしてこないだろう。
初対面で、貴方の漫画は好きではありませんと堂々と言ってのけるほど、俺のことを嫌っているんだから。
今までは俺も、オメェのことなんか好きじゃねぇって言い返していたが、今度からは上手く言い返せる自信がない。
それ以前に、嫌いと言われるだけでマジでへこむ。
なんというか、恋の力が凄いとは認めたくないが、認めたくはないが、俺は蒼樹嬢を好きで好きで仕方がない。

朝から待っているがもう16時。
そろそろ電話の一つや二つくれてもいいんじゃないかと思う。
こういうときに、チョコレートが欲しいだなんて電話をして催促するなんて無粋なことはしたくはない。
こんなことまで考えるなんて、俺らしくないといえば俺らしくない。
しかし、気になって仕方がない。

「ちょっと出てくる」
「ハイヤー!」

こういうときに、安岡の鈍さはいい。
勘ぐられたらお終いだ。
俺があんだけ蒼樹嬢に恋愛感情はないって公言しておきながら、いまさら好きになりましたすみませんだなんて言いたくもないし決していえないだろう。それに蒼樹嬢が俺を好きになる可能性があるだろうか。
こんな一途な片思いだなんて、それこそ少女漫画の中での話かと思っていたし、自分には無関係なことだと思っていたが、夢見がちな女を好きになると俺までファンタジーな空想に思いをふけなければいけないのか。
壁にかかっているジャケットを取ると、靴を履いて、バイクにまたがった。
別に、蒼樹嬢に会いに行くわけではない。
ただ、蒼樹嬢の家の周りを散歩したい気分になっただけだ。
そう、今日の俺は気分がいいから、自分を嫌っているやつも寛容な態度で受け止められると思っただけだ。

バイクを走らせて、蒼樹嬢の家がある三鷹に向かう。
蒼樹嬢の家の周りを走ってて、運良く会えたらラッキー。会えなくても別に構わない。
三鷹駅の前の道を通ると、ぞろぞろと人が出てきていた。
信号待ちをしながらぼーっと人だかりを見ていると、あの琥珀色のボブの女が改札から出てきた。
何十人といる中で、とりわけ光って見えた。
今日の俺はやっぱついてると、小さくガッツポーズをすると、蒼樹嬢の家に先回りして、偶然を装いながら再会しようと、バイクで走った。

蒼樹嬢の家の前の道を、三鷹駅に向かってまた逆走する。
すると、前から蒼樹嬢が歩いてくるのが見えた。
「蒼き…」
蒼樹に声をかけようとした福田だが、途中でやめた。
ここで声をかけてどうする、チョコレートが欲しいだなんて直接聞けるかボケ、じゃあなぜここまで来た俺、それは蒼樹嬢に会えば……。
一瞬にして福田の頭の中で議論がされる。しかし、どうするかという答えが出てこなかった。バレンタインだからといって、俺を嫌っている蒼樹嬢が日ごろお世話になっているからという理由での感謝のチョコをくれるとは限らない。けれど、連載は俺が助けたことによって決まったようなものだが、しかし、それを感謝されるほど、俺は蒼樹嬢に日ごろやさしくしていない…。この場になって、さまざまな思惑と不安が出てきた。しかし、考える暇もなく、蒼樹が福田の存在に気が付いた。

「福田さんっ!」
「……っ、」
蒼樹の声に福田はどうしようもなく焦った。突如不安に襲われて、頭がパニックになりかけていたからだ。
「……蒼樹嬢」
「あの……どうしたんですか、こんなところに」
「ん…あ……、えっと、散歩をだな…」
蒼樹に会いに来たなんていえるわけもなく、しどろもどろ適当なことを言った。下からじっと目を見てくる蒼樹に罰が悪くなり、福田は目をそらした。そうすると、蒼樹もそのまま下を向いた。明らかにいつもとは違う福田の様子だが、蒼樹も何か考えている様子で福田の異常に気が付かなかった。沈黙になり、気まずい空気が流れる。それを打破しようと、福田が口を開くと、声が重なった。
「「あの…」」
「……」
「……」
「あ、わりぃ。なんだ、蒼樹嬢」
「いえ、こちらこそ、すみません」
こういうときに限って、息が合ってしまう。普段は性格も好みも、何もかもあわないのだが。
「福田さん……」
「…ああ?」
「あの、これを……」
気まずい空気の中、蒼樹は自分のカバンからピンク色のリボンの付いた小さな袋を取り出した。女の子らしい可愛らしいピンクのリボンでラッピングされた透明の袋の中には、少し不恰好なチョコレートが見えた。
「……手作りなのか…」
率直な疑問を述べると、慌てたように蒼樹が口を開く。
「いやあのそのえっとべ別に福田さんが好きとかそういうことではなく手作りの方が安く出来るのでほらあの私普段福田さんにお世話になって」
「はいはい、安上がりなんだろ。こんな俺みたいなのにやるのに金なんかかけてられないもんな」
好きな女からもらえるチョコが安い板チョコを溶かしただけのものだろうがなんだろうが、手作りというのが嬉しかった。
しかし、そんなことを素直に喜ぶのは気恥ずかしくて、悪態をついてしまう。
「あんまり味の保障は出来ませんが…」
「ん、じゃあここで食うぜ。上手いかどうか判断してやるよ」
福田はピンクのリボンを引っ張ると、綺麗にラッピングされた袋の口が開いて、ふんわりと甘い匂いが漂う。
小さなハート型のチョコレートを一つつまむと、そのまま口に運ぶ。優しい甘さがじんわりと舌の上で融ける。
「…うまいな」
「良かった……」
福田の口から思わず素直な感想がこぼれると、蒼樹はほっとしたように胸をなでおろした。その姿があまりに可愛らしくて、福田は思わず自分の口を蒼樹の唇に合わせた。口の中に残っているチョコレートの破片を蒼樹の口に入れると、さらにチョコレートが甘くなった気がした。唇を離すと、真っ赤になっている蒼樹が福田をじっと見ていた。
「な?上手いだろ」
そういいながら自分の口の端をペロリと舐めると、蒼樹はさらに真っ赤になって下を向いた。そんな姿がさらにかわいく見える。本当に、俺は蒼樹嬢に惚れこんでいるらしい。

西に沈む真っ赤な太陽が真っ黒な影を長く長く伸ばしていく。
道に佇む二つの影がいつしか一つになった。




ハッピーバレンタイン